登入あれからしばらくした。
ラスティの店――飛竜の巣穴亭は黄色い声で満ちていた。 客の種族は多様で、「セバスさ~ん、また会いに来ちゃった♡」
「おかえりなさいませ、お嬢様。私もお嬢様に会えて幸いですよ」 「セバスく~ん、紅茶のおかわりくださ~い♡」 「かしこまりました、お嬢様。どうぞごゆっくりおくつろぎください」 「あーん、セバス様~♡ クッキーが固くて割れないの~。ぴえんだよ~」 「少々お待ちくださいませ、お嬢様。割って差し上げますね」ひょんなことから従業員を二人抱えることになったわけだが、そのうちのひとりであるセバスという青年は今日もウェイターとしてフロアを歩き回っている。決して駆けたりはせず、なんなら優雅にさえ見えるのに、恐ろしく対応が速いものだから魔法でも見せられているような気分になってくる。
しかし、あまりの盛況にセバスだけでは接客の手が足りない。ラスティ自身も忙しく働いているのだが――
「こっちも紅茶おかわりくださ~い♡」
「はーい、ただいまー」 「ちっ、おばんはお呼びじゃねえんだよ」 「は?」
なんて内心は飲み込んで「すみませんねえ。うちは指名とかそういうのないんでえ」と愛想笑いを浮かべながら紅茶のおかわりを注ぐ。おいこら舌打ち聞こえてんぞ露骨なんだよ不老だけが取り柄の
一旦、厨房に戻って客席に背を向けて、
(どうしてこうなった……)
はああ、と若干深めのため息をつく。
いや、原因はわかりきっているのだ。 多様な種族で構成される客たちの唯一の共通点は性別である。 全員が、女なのだ。彼女らの目当ては明白で、給仕に勤しむセバスである。
先日は文字通りバタバタして(これでも生易しすぎる表現だが)気にする余裕もなかったが、冷静に見ると背筋がぞっとするほどの美形なのだ。普通、異種族の男に胸をときめかせる女はいない。しかし、例外というのはあるものだ。飛び抜けて美しいと、種族の垣根など易々と越えてしまうらしい。おまけに下にも置かぬ過剰なまでに丁寧な接客。まるで自分が貴族の令嬢になったかのように扱ってくれるのだからたまらない。
セバスが給仕に出るようになってから、みるみる女性の常連客が増えていった。
あまりの誘引力に、じつはなお、繁盛の要因はそれだけではない。
「ほほう、この開放感……貴族庭園の
身体で払うと言われても、働ける店がなければ始まらない。
というわけで、半壊した店をセバスが一晩で直してしまったのだ。(なおこのときに、看板に「執事喫茶」の文字が加えられた。初めは何のことかわからなかったが、いまは理解した。いや、させられた) 材料はスラムなどから拾い集めた廃材やガラクタばかりのはずなのに、どういう
一方、望まれない客もまだいるにはいて。
「大した繁盛じゃねえかよォ。おっと、料理に虫が――」
「GRRRrrrrrrrr……」 「天気もいいし、ちょっと愛銃の手入れでもしようかしら」 「イシシシ、今日は絶好の 嫌がらせをしようとするチンピラ
というか、そんなことで折れるのならば最初から来なければいいのに。
そう思うが、彼らは彼らで部外者にはわからない事情があるのだろう。主にメンツとかメンツとかメンツとか。三等市民の 執事セバスが
「ラスティ店長様、こちらのお料理はどちらに運べばよかったかしら?」
「あ、レイカちゃん。それは7番テーブルね。待って、急がなくていいから。落ち着いて、深呼吸ね、ゆっくり、ゆっくり、転ばないようにね」 「そんなに心配なさらなくても大丈夫ですわ! 大船に乗ったつもりでお任せ……ああっ、あっ、あっあっあっ」 「あっあっあっ! ……あ、危ない。……ギリギリセーフ……」 「まあ、ありがとうございます! たいへん助かりましたの!」 「いいからお盆を持ったままお辞儀しないで! こぼれる! こぼれるから!」――八分の一人前くらいの働きを見せている。
雇い主であるラスティの言うことはよく聞いて、やる気もばっちり満々なのだが、いかんせん不器用すぎる。
皿を洗わせればことごとく割り、配膳を任せればテーブルを間違えるか、先程のようにすぐこけるし、掃除をした場所は高確率でかえって汚れる。かまどの番をさせたら大鍋になみなみのスープがどういうわけだか極彩色の謎の液体に変わっているし、包丁仕事は空恐ろしくなったのでそもそも触れさせていない(当人は「刃物の扱いはお任せください!」と自信満々だったが、とても信じられるものでない)。かといって、何もさせないでいると大きな瞳に決壊寸前まで涙を溜めるので、目の届く範囲でできる配膳や掃除をさせているのだ。
とはいえ。
(ひさしぶりに仕事が楽しくなってきたなあ)
思い描いていた店とはだいぶ様子が変わっているが、客の笑顔で満ちる店というのは心が浮き立つ。八分の一人前の仕事しか出来ない割に、まかないは十人前以上食べる少女については頭が痛いが、年の離れた妹が出来たようで嬉しくもある。
……足りないぶんは、セバスの働きで余りある、という事実が心の余裕を生んでいるという点も否定はできないが。
「ラスティ店長様! フロアのお掃除が終わりましたわ!」
手文庫の売上を数えていたら、モップ片手に得意げな顔のお嬢様のうしろに澄まし顔の執事。手際から考えて、掃除の9割――いや、12割くらいはセバスがやっている可能性が高い。超過の2割はレイカが増やした手間の分だ。
でも。
「おつかれさま。冷晶庫にプリンがあるから食べていいわよ」
「プリン! ありがとうございますの!!」
「わあ! とってもおっきなプリンですの!」
そして歓声。
「入店一ヶ月のお祝いね。あ、セバスさんもよかったら。ちょっと大きすぎるかもしれないけど」
ちょっとどころではない。
バケツプリンを2つ作ったのだ。「ありがとうございます。ですが、私の分はお嬢様に」
「わあ! わたくしが頂いてよろしいんですの!?」 「ええ、もちろんです、お嬢様」いくら主人のポンコツな姿を見ても、この執事の忠誠心は小揺るぎもしない。
端からすると、従者というか保護者にしか見えないのだが。 いや、実際執事の内心はそうなのかもしれない。 そんな関係性も、間近で見ていて心地が良い。心地の良さに甘えて、二人を手放せないでいる。
初日の飲食代なんて、店の改装をしてもらった時点でお釣りが出るほどなのだ。正直に話して、正式に従業員になってもらおうか……とも思うけれど、それで出ていってしまわれるのも怖いのだ。自分のずるさに軽い自己嫌悪を抱きつつ、本当に嫌なら二人とも勝手に出ていっているのでは、と都合のよい想像もしてしまう。
「プリン! おいしかったですの! ごちそうさまでしたわ!」
「はいはい、ちゃんと歯を磨いてから寝るのよ」ちょっと考え事をしていたら、空のバケツが2つできていた。
一体あの小さな体のどこに吸い込まれているんだろう。 執事に手を引かれ、階段を上る背中を見ながらそんなことを考える。 二人とも二階の空き部屋に住み込んでいるのだ。 どこぞのお嬢様かと思えば、どうやら家無しらしい。詳しい事情は聞いていない。
どうせややこしい事情があるのだろうし、言いたい事情とは限らない。というか、十中八九言いたくない事情だろう。余計なことを聞いて、出ていかれたら目も当てられない。(でも、いつまでもちゃんとしないわけにはいかないよね)
売上の集計を終え、帳面を付ける。
それを金庫にしまいながら、「よし、明日こそちゃんと話そう。それで正式な従業員になってもらう!」
声に出して自分に言い聞かせた。
そのときだった。激しい銃声が轟いて。
シャッターに特大のミシン目のような弾痕が穿たれて。 貫通した弾丸が生まれ変わった店内をずたずたに引き裂いて。 そして、ラスティの身体もついでのように引き裂かれて。 真っ赤に濡れて、「なん……で……」
血とともに、そんな言葉がこぼれ落ちて。
見開いた目の端から、一雫の涙が垂れて。 エプロンにぽつんと小さな染みを作って。 でもそれは、広がった赤にすぐさま塗り潰された。虫食いのカーテンのようになったシャッターが力任せに引き剥がされる。放り捨てられた残骸が、湿気った路地に落ちて耳触りな騒音を立てた。
そして、踏み込んでくる男たち。「最初からこうしてりゃあよかったんだよなァ。下手に慎重にやろうとすっから、すっかりめんどくせえことになっちまった。はあァ、俺様もヤキが回ったかねえ」
ガラガラガラガラ。
痰が絡んだような不快な笑い声。 男たちを率いていたのは、赤錆色の鱗に覆われた大柄な「あの少女は何者だったのだろうか」 早暁。空が白み、小鳥たちが囀り始める頃。 アルドールは真樹派教会の礼拝堂で、ただ一人祈っていた。 両手を組み、傅いているのは真樹派の崇める世界樹を象った神像。 それにもたれるように、神弓イーヴァルヴィズルを携えた勇者の姿が彫り込まれている――はずだ。 アルドールの目はもはやそれを映すことはかなわない。 あの日、奇跡的に一命は取り留めたものの、オリーヴ色の両眼は白濁に色を変え、永久に光を失った。 代わりに、瞼の裏に焼き付いた姿がある。 切削刃の如き、金の巻き髪。 紫水晶の如き、紺碧の双眸。 白磁器の如き、滑らかな肌。 そして、少女の腰よりも身幅の広い、一振りの黒い大剣。 空を駆け、自由自在に剣を振るって混沌を退け、聖剣さえも跳ね返した存在。彼女の活躍によって救われた命は十万でも足らないだろう。 名をホウオウイン・レイカ。 異端者リンネの屋敷で働いていた助手であり、その企みをたった一人で挫いた戦士でもある。 ――勇者たちが立ち上がったのは、己の良心に従ってのことですわ。神様はそれを見守ってくださったかもしれませんが、立ち向かう意志は、勇気は、誰かから与えられたものなどではございませんの リンネの屋敷で交わしたわずかな会話。 茫洋とした少女の碧い瞳に、一瞬だけ力強い意志が宿っていたように見えたのは錯覚ではなかったか。「勇者……勇者たち……」 彼女は果たして、本当に勇者なのだろうか。 教団の教義では、たとえ様々に姿を変えようとも勇者は唯一人である。 もしも彼女が本当に千年前に世界を救った勇者で、そのひとりに過ぎないのだとしたら。その事実が知れ渡れば教団の混乱は免れないだろう。下手をすれば、分裂し教派間の戦争が始まるかもしれない。 そして、それを防ぐのが異端審問官の役目である。 だが、 アルバートの真っ暗な世界では、ただ少女の姿だけが輝いている。 心の中でさえ、異端と呼ぶことができない。 あるいは、彼女こそは真理なのではないか。 そう思う心が抑えられない。「神よ……偉大なる世界樹よ……」 だから、アルバートは神に祈る。 異端審問官になる際に、捨てたはずの神に。 人の身では抱えきれぬ苦悩に直面したときこそ、神に祈りを捧げるのかもしれない。
勇者の再臨。 そんなことがありえるのだろうか。 絶対にありえない。 それが、これまでのリンネの考えであった。 だが、眼前で繰り広げられている光景は何であろうか。 少女が宙を舞っている。 比喩ではない。 文字通り、空中で舞い踊っているのだ。 金糸のような巻き髪をたなびかせて、 くるくると、スカートの裾を翻し、 その手には黒い大剣。 複雑な文様が放つ光が一筆ごとに異なる色の線を引き、混沌を引き裂いていく。 少しずつ、少しずつ、チーズを削るように。 削り取られた肉片は、光の粒となって大気に溶けていく。 混沌とてやられるがままではない。 無数の人体を練り合わせて作った掌を少女に向かって伸ばす。 その速度は遅く見えるが、それは距離と巨大さから来る錯覚だ。 一本一本が、謝肉寺院の大礼拝堂を支える主柱ほどある。 矢のような速度で殺到する触手の群れ。 群がるそれを、優雅なステップで軽やかにかわす。 かわす。 かわす。 それはまるで、 蝶を追う子供の手のようであり、 天より垂れた糸に縋る亡者の手のようでもあった。 かわすたびに大剣が振るわれ、 指を切り落とし、 手首を切り落とし、 前腕を半ばから両断する。「なんて動きだ……」 眼前で繰り広げられる絶美に奪われていた己の理性を呼び覚ますため、リンネはあえて声に出して呟いた。「分析しなければ……」 まず、空中飛行の魔術。 通常、竜鱗の裔や翼腕鳥人、喋蝦蛄のような有翼種族を除けば、機械や魔道具の補助もなしに空を飛べる者などいない。ところがあの少女は、それらしい道具に一切頼っていないように見える。 また、混沌の因子は魔素に干渉する。あの怪物の直上は、魔力場が相当に乱れているはずだ。例え有翼種であってもまともに飛べる環境ではない。 にもかかわらず、少女は自在に空を舞っている。膨大な魔素出力と、精緻なコントロールが両立しなければ到底成し得ない所業だ。例えるなら、一本の絹糸の上を全力で駆けながら軽業を披露するようなもの。それほどの絶技を、少女自身よりも重いであろう大剣を操りながら、汗ひとつかくことなくやってのけている。 次に剣術の冴え。 リンネは剣術については完全な門外漢である。長剣と|幅広
赤い霧は薄れ、今は低い位置に靄がかかる程度になっていた。 リンネはバルコニーから身を乗り出し、光受容細胞を集中して眼下の光景に見入っている。 それは油絵具をでたらめにぶちまけた抽象画のようだった。 赤が、青が、黄色が、緑が白が黒が茶色が滅茶苦茶に入り混じり、地面を埋め尽くし、何か巨大な生物の内臓のように脈動している。あちこちで起きる小爆発は僧兵による銃撃だろう。衝撃波を発生させる鎮圧用の魔弾を使っているようだが、効果はあまりなさそうだ。 その上には、無数の人影が蠢いていた。 顔面を掻きむしって泣きわめく人間。頬の皮膚がべろりと剥がれ指に絡みつくが、すぐにとろけて指そのものに同化する。めくられた皮膚は瞬く間に再生し、再びべろりと引き剥がされる。 咆哮しながら手近な人間に喰らいついているのは食人巨鬼。若い女の肩口に噛みつくが、顎と肩肉が癒着し、顔を埋めたままくぐもった叫びを上げる。 竜鱗の裔が火の吐息で緑肌矮人を黒焦げの炭に変えるが、卵の殻を剥くように炭化した組織が剥がれ落ち、内側から現れた緑肌矮人がわけもわからない風にきょろきょろとあちこちを見回している。 いずれも下半身が脈動する異形の大地と融け合わさっている。大地からは代わる代わる人が生え、また溶け落ちるように沈んでいった。混沌に飲み込まれた人々が再生と融合を繰り返しているのだ。「なるほどなるほど、他の生物や物質と融合しても、すぐに意識を失うわけじゃないのか」 リンネは目の前の光景を神経細胞の回路に刻み込み、体内の最も安全な深部にしまい込む。粘体生物は体細胞の位置を変更し、全身で効率的に記憶を行えるが、重要な記憶は損傷を防ぐために体表から遠ざけるのだ。「同志ィいいいぃイ! リンネぇ同志ィいいいぃイ!」 己の名を呼ぶ声。 混沌の中央あたり、そこにイワナガの身体が生え、大きく手を振っていた。上唇と下唇が癒着しかかって糸を引いている。声帯や口腔も元の形は保っていないのだろう。人外じみた奇妙な発音になっていた。「リンネ同志ィ! やリました やりまスィたゾぉ! 大ホウ壊 始源の地ゴク 混沌に満ちた世界の終ワリ! 勇者再臨のトキは来たレリぃ!」 イワナガの胴体が蛇の
【巡察官による捜査資料より抜粋】◯氏名:チュユ氏族のキリリ◯性別:女性◯種族:緑肌矮人◯爵位・階級:二等市民◯備考:重要参考人(カール・フォン・リンネ 粘体生物)の隣家の使用人。副業で占い師◯聴取内容(録音ママ): ええ、はい。ちょうどお勤めが終わりまして、二等市民街の家に帰るところでした。ああ、あたしは通いでしてね。洗濯だの掃除だの、一通りの用事が済んだら帰るんですよ。 最初はね、地震だと思ったんです。 ぶるぶるぶるぶるって、地面が細かく揺れる感じで。 でも、驚くじゃありませんか。 どおおおおおーーーーーん! って、急に突き上げるような揺れが。 それで、隣のリンネ先生…… いや、もう呼び捨ての方がいいんですかね? 異端が起こしたテロに関わっていたんでしょう? 時々頼まれごとなんかされてたんですよ。 ああ、恐ろしい恐ろしい。 あんな人の好さそうな顔してねえ……。 あ、いえ、言葉のアヤですよ。 粘体生物に顔つきも何もありませんって。 ほんと、よくわからなくて不気味な連中ですよねえ。 あ、すみません。話を戻しますね。 それで、リンネの屋敷がどどどどどどって崩れ落ちましてね。 いやあ、仰天しましたよ。 思わず腰を抜かしちゃって、持って帰ろうとしてた卵がみんな割れちゃいましたからね。 あれ、嫌ですよう。盗んだわけじゃありませんって。 古くなった食材を持ち帰って処分しようとしてただけですからね。 ご主人様にお話しなさっちゃ嫌ですよ。 それで、リンネの屋敷が崩れて、もうもうっと土煙が上がって。 そこから何がでてきたと思います? 怪物ですよ、怪物。 迷宮の深層に住んでいるようなでっかくて醜いやつが、たーくさん。 え? 迷宮に潜ったことがあるのかって? 嫌ですよう、こんなおばさんを捕まえて。 あるわけないじゃないですか。 でも、怪物なら幻画や新聞でよく知ってますよ。 地下に潜れば潜るほど、大きくって強くって、不細工なやつが出てくるんでしょう? それから考えたら、あの怪物たちはどう考えたって最下層レベルですよ。 ひょっとしたら深淵から来たのかも? 深淵、知りません? 迷宮の最奥を迷宮探索者たちはそう呼ぶって言うじゃありませんか。 まだ誰も
広場で起きた異変を、リンネはじっと観察していた。もし眼球が備わっていたなら、その双眸は好奇心に爛々と輝いて見えただろう。 アルドールに招待されたのは想定外だった。公開処刑に立ち会わせることで捜査のきっかけを探ろうとしているものと思われたが、あえて乗ることにした。どうせ数日もすればイワナガが残してしまった証拠を嗅ぎつけられるだろう。いまさらその程度のことを恐れても仕方がない。 それに、どうせならこの実験を特等席で観察したかったし、多くの目撃者が得られるのもかえって好都合だった。「何が起こった!?」 アルドールが元から青白い顔をいっそう蒼白にしてこちらを振り返った。「さあ、勇者でも再臨したんじゃないですかね?」 肩を竦めてみせると、アルドールの額に血管が浮いた。「ふざけるなッ! 何か知っているんだろう! 正直に吐けッ!」 リンネのローブの襟を掴み、蒼白だった顔を真っ赤にして詰め寄ってくる。粘体生物でもないのに器用に体色を変えることだ。もちろん、仕掛け人はリンネである。何が起こっているのか知っている。これから何が起こるのかも。結末までは観察しなければわからないが、だからこその実験である。「何のことやらさっぱり。それより、いいんですか?」「……くっ!」 眼下の阿鼻叫喚は続いている。赤い霧は範囲を広げ、異形の触手が周辺の人々を次々と捕らえ、霧の中に飲み込んでいる。「一体何なのだあれは……」 側近たちへ矢継ぎ早に指示を飛ばしながら、アルドールがひとりごちる。(混沌の因子をせっせと抽出して集めたものだよ、って教えたらどんな顔をするかな) そんな好奇心が疼いてくるが、それをするには早すぎる。この場で拘束され、続きを観察できなくなってしまっては本末転倒だ。 イワナガに持たせたのは、高濃度の混沌の因子を溶かし込んだ液体を詰めた瓶である。内部にはナトリウム化合物を包んだガラス球を入れ、激しく振ると爆発する仕組みにしてあった。人混みに投げろとは言ったが、まさかこちらに振ってみせるとは思いもよらなかった。勇者再臨の儀式に殉じることを誇りたい気持ちでもあったのだろうか。(まあ、無事爆発もしたし、何でもいいんだけれど) 再臨派は、世に混沌が満ちれば再び勇者が降臨し、これを滅するのだと信じている。そのため、混沌の復活を目指すと称してあれこれと活
数日後、公開処刑の日が訪れた。 アルドールが処刑対象に選んだ異端は三名。鉄釘を打ち込んだ女、それから七歳の子供と足の弱った老人。いずれも人間で、再臨派の中枢に迫る情報は持っていない末端の信者だ。だが、同胞の同情は存分に買えるだろう。 謝肉派寺院前の広場に設けられた処刑台に、三名が磔にされている。手足は針金でくくりつけられ、口には鉄の猿ぐつわ。余計なことを喋られないようにするため、ではない。罪状の読み上げと説教を邪魔されないようにしているだけである。「この者たちは聖なる教えを裏切り、混沌の甘言に心を囚われた。彼らは愚かにも神と神の遣わせし勇者を疑い、その永遠を否定し、神の慈悲を拒絶し続けたのである――」 新古樹族の公証人が罪状を読み上げ、広場に集った観衆にざわめきが拡がる。罪状に絡めて語られる説教に心を打たれたわけではない。「説教はいいから早く処刑をしろよ」と急かす声がほとんどだ。 場所柄もあって観衆の多くは食人巨鬼で、彼らは処刑そのものへの興味は薄く、執行後の食肉の施しを期待しているだけだ。罪人の埋葬は禁じられているため、「墓荒らし」という余計な一手間が挟まらない。滅多に手に入らない新鮮な人肉にありつく貴重な機会なのである。 その他には緑肌矮人、竜鱗の裔、新古樹族、次いで人間が多い。比率としては食人巨鬼ーを十とすると、他の三種族が一から二ずつと言ったところか。同種族ごとでなんとなく集まっているので数えやすい。「哀れな罪人たちの罪を清める舎利の配布を開始します。神の愛し子たちよ、ぜひ手を貸していただきたい。哀れな魂が死後に混沌に飲み込まれず、大樹の糧となって汚穢を浄化し、再び実を結ばんことを」 新古樹族の侍祭たちが募金箱を捧げ持って観衆の間を回る。刑の執行場所こそ謝肉派寺院の前だが、今日の仕切りは真樹派が中心となっていた。公証人の祈りの言葉が真樹派のものだったのもそのためである。 観衆たちは小銭を募金箱に入れ、代わりに小石と贖宥符を受け取る。贖宥符は教団への寄進と引き換えに手に入れられる紙製の護符で、所有する量に応じて現世での罪が減じられ







